こんにちは。島倉千代子好き、チョッピーです。
偉人の訃報
本記事掲載日前日の8月30日、ロシアのゴルバチョフ氏が亡くなったらしい。
上に貼り付けたNHKのニュース記事を読んで初めて知ったのだが、ゴルバチョフ氏がソビエト書記長に就任したのは1985年とのこと。
1985年。今から37年前。僕ことチョッピーが生まれた年だ。
その後、1989年に東西冷戦は終結し、1991年にソ連は崩壊する。
以上、上に貼り付けたニュース記事の内容をかいつまんでそのまま書いてみた。
1991年に僕ことチョッピーは5歳~6歳。正直、上に書いた歴史の流れは全く記憶にないのです。
出来事自体も記憶にないのだが、ゴルバチョフ氏の存在自体に関しても、僕の実感としては「同じ時代を生きていた人」という印象ではない。
もちろん名前は存じていましたが、何をされた方なのか等はボンヤリとしかわかっていません。勉強不足で申し訳ございません。
失礼ながらご存命であった事すらも、今回の訃報で初めて知った。
なんというか、僕の中では彼はすでに歴史上の人物という扱いになっていたのだ。
インパクト大
このようにゴルバチョフ氏の訃報は僕にとっては「よく知らない人物の訃報」であったのだが、この数年は、僕にとって身近に思える人物の訃報を耳にする機会も増えた。
必然、弔事に参加する機会も増える。
つい先日も親族の初盆や四十九日に参加したばかり。この後にも親族の3回忌への参加が予定されている。
また、親族の訃報だけではなく、高名な政治家や有名人の訃報を耳にする機会も最近は多い気がする。
20代の頃に耳にした著名人の訃報には、前述のゴルバチョフ氏の訃報と同じく「(僕にとって)よく知らない人物の訃報」であるモノが多かった。
だが、最近の著名人の訃報には「個人的に親しみのある方のモノ」も多い。
30歳を超えたあたりから、在りし日の活躍が色濃く記憶に残っている方々の訃報を多く耳にするようになってきたのです。
年齢を重ねれば重ねる程、「訃報の衝撃」は大きくなっていくのかもしれない。
不思議
上に書いた親族の初盆、具体的には僕の父方の祖母のモノである。
会場は生前、祖母が住んでいた持ち家。
父方の祖父は20年以上前にすでに亡くなっているので、祖母が亡くなってからは、その家には基本的に誰も住んでいない。
たまに僕の両親やその他の親族が使ったりはしているようです。僕は普段、地元を離れて生活しているので詳細な状況は知らないのですが…。
今年の初盆の際にはその家で久しぶりに両親と一緒に食事を取ったり、妹家族と遊んだりした。
20数年前には祖父母・両親・僕・妹で遊んでいた家だったのだが、現在は両親・僕・妹・妹の家族で遊んでいる。
過去には存在していた人々が、今はいない。過去にはいなかった人々が、今は存在している。
終着点はわからない
ゴルバチョフ氏の退陣後、ソ連は崩壊し、その中心国家はロシア連邦となった。
その国は現在、かつて同じソ連の構成国だったウクライナと、いつ終わるとも知れない争いを続けている。
僕の両親はいつの間にやら妹の子供達にとっての祖父・祖母となった。
祖父・祖母の孫だった僕自身も、気付かぬうちに妹の子の叔父となっている。
叔父…。
なんだか、若干、連綿と続く歴史の流れから横に逸れている立場の様な気がしないでもない。
まぁ、それも人生であろう。
歴史の直系に属する人間もいれば、その傍流に属する人間もいる。
自分がどちらの立場に位置するのか。
ある程度は選べるのかもしれない。だけど、結局のところは結果論でしか語れない様な気もする。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
そう言えば、僕はカラオケが大好きなのですが、今は亡き祖父もそうだった気がします。彼の自宅にはカラオケ機器があったくらいですので。