こんにちは。チョッピーです。
今回のタイトルは反語になっていますので、結論は「いや、必要ではない」となります。
最初にこの記事で言いたい事を全部、言ってしまうと「人生とは手段ではなく、それ自体が目的である。よって【よりよく生きる】ための条件として【何かを達成すること】を設定する事には大して意味が無く【何かを達成するための行為自体】に【楽しさ】を感じられないのであれば、それは完全に間違った目的設定であり、今すぐ目的を変えるべきだ」となります。
どうして突然、こんな事を考え出したかというと、ちょっと今日、本屋をブラブラしている時に「生きる意味とは」みたいな本が目に入ったんですね。で「おー…懐かしいテーマ…。僕も中学校~高校生くらいの時には、こういう事をよく考えてた気がするなぁ…」と思いまして。
当時は「この世に生を受けたからには何かを達成する使命があるんだろう」みたいな事を考えていたのですが、今、あらためてそれを考えてみると、全然、違う結論になったんですね。まぁ、冒頭に書いた通り「人生ってそれ自体が目的であって、意味なんか無いだろ」というところなんですが。もう少し詳しく書くと「意味があるのか無いのかなんて、人間にはわからんだろ」という感じになります。
仮に「人生には意味がある」という命題を前提に考えてみましょうか。
「人生に意味がある」という事はつまり「誰かが設定したなにかしらの達成すべき目標が存在しており、人間とはそれを達成するための手段である」という事になると思います。要は「人間が誰かによって作られた存在であり、それには目的がある場合」に「人生には意味がある」という事になります。さらにこの考え方を推し進めると「なにかしらの達成すべき目標を達成した人の人生には意味があり、そうでない人の人生には意味が無い」となります。
ではこの場合の「なにかしらの達成すべき目標」とは具体的に何を指すのでしょうか?
それは「人間を作った誰かが人間を使って達成したいと考えているコト」になります。
ただし、これを人間が知覚する事は不可能です。
「人間を作った誰か」というのは要は「最初にこの世に命を創り出した存在」の事であり、その様な存在とコミュニケーションを取る術は(少なくとも現在の人間においては)一般的には備わっていない様に思われます。
ちなみにユダヤ・キリスト・イスラム教などの一神教的世界観においては「啓示を賜る」という様な形で、それを実現できる「預言者」等と表現される存在もいるとされているとは思いますが、彼らの言う事が本当に「最初にこの世に命を創り出した存在とコミュニケーションを行ったのかどうか」は僕にはわかりません。それを証明する事が出来ないからです。証明できない事は「わからない」ので僕は信用しません。
というわけで、この記事においては「人間を作った誰かが人間を使って達成したいと考えているコトを人間が知覚する事は出来ない」という事を前提に話を進めさせて頂きます。そうであるならば、人間自身が「これが人間の達成すべき目的である」と設定する事にも信頼性などはない事になります。それが「正解である」と証明する方法が無いからです。
この状態で「これを達成する事が人生の意味だ」と設定する事は、すなわち「自分で自分の生きる意味を定義しているだけ」に他ならず、要は「今日はお肉を食べると決めた」と同じ程度の意味合いしかありません。何が違うかと言えば目標達成までの難易度や必要なコスト等が異なるだけです。そうであるならば「目標達成時に得られるプラスの要素と、それを得るまでに払う必要のあるマイナスの要素」を比較し「プラスが最大化される生き方」を合理的に選択した方が「人生における幸せの総量」は上がると思います。
よって「人生には意味がある」という考え方を前提にした場合の「人生における幸せの総量を最大化させる」ための合理的な方法論は「プラスが最大化される生き方を選択すること」になると思います。理由は繰り返しになりますが「何を達成する事に意味があるのか」を証明する事が人間には出来ないためです。
「人生には意味がない」という考え方を取る場合は、話はもっと簡単です。
「意味が無い」という事は「達成すべき目標なども無い」という事ですから素直に「プラスが最大化される生き方」を選べばいいだけ…となります。
なので「人生には意味がある」というスタンスであろうが「人生に意味はない」というスタンスであろうが、僕達が人生において取るべき選択肢は「プラスが最大化される生き方」なのであって、それを実現するためには「達成すべき目標」などを設定する必要は別にない…というのが、現時点における僕の根本的な考え方になっています。
なので、個人的には「人生においてミスマッチな目標を設定してしまい、現在、苦しんでいる人」には「そんな目標は捨ててしまえばいいんじゃないですか?」というアドバイスを送りたいなぁ…と思う次第です。うーん、軽薄!
もちろん「今がいくら苦しくても、なんとしても達成したい目標がある。それを達成する事こそが僕にとってのプラスが最大化される生き方なのだ」という方に対しては「そうですか。応援しています! 頑張ってください!」という言葉を送らせて頂きます。
いつの日か、全ての人が、その人生のプラスの総量が最大化される様な生き方を選択できる世界になればよいですね。
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