こんにちは。今年は帰省しなかった男、チョッピーです。
今回の記事について
今回はチョッピーの感じている地方と都市の住民の認識の違いについてのお話です。
チョッピーは大学卒業以降、都市部を転々としている
僕、今、大阪に住んでいます。大都市です。その前は名古屋に住んでいました。こちらも大都市です。
僕は九州の大分県出身なのですが、大学卒業後は大阪・名古屋以外にも大都市を転々とする生活をしています。僕が今まで住んだことのある土地を、その年数を添える形で順番に並べてみましょう。
- 大分(22年間)
- 横浜(1年半)
- 大阪(1年半)
- 横浜(4年)
- 名古屋(5年)
- 大阪(1年半、継続中)
ちょっと「4」の横浜と「5」の名古屋の年数があやしいですが…。たぶん、これで合っているハズです。
なんで「横浜」と「名古屋」だけ県の名前じゃなくて市の名前で書いてるの? 神奈川と愛知にすべきでは?
うーん、そっちの方が「都市感」が伝わるかな…と思って。今回の記事では「都市部と地方の意識の違い」を書いていきたいので。
上のリストを読んで頂ければわかる通り、僕は出身地である大分を除くと常に大都市を転々とする生活をしています。年数にして現在13年半くらい。大分に住んでいたのは22年間なので、もう、その半分以上を都市で過ごしているわけです。
都市に住み始めた理由は、そこに本社・支社がある会社に就職したから。転々としている理由は転勤です。今、住んでいる大阪だけは自分の意思ですが。
僕が就職したのは「転勤の少ない会社」だったハズなんですけど、何故か僕は何回も転勤させられていました。どうも「何回、転勤させてもいい人材ルート」に入っていたようです。
大分に住み続けている人との意識の違いを感じる場合がある
僕の出身地をもう少し具体的に書くと大分県の別府市です。全国的にも、そこそこ有名な観光都市ではありますが、まぁ、正直、ド田舎です。
とはいえ商業施設もあるし、なんと言っても温泉があるので住んでいる人の満足度は高い気はします。(僕の体感です)そのためそれなりに住人もいます。
僕の出身大学(立命館アジア太平洋大学)も別府にあるのですが、そこの卒業生がそのまま別府市に住みつくケースも多いと聞きます。僕の昔馴染みも別府に住み続けている人は多いです。親族のほとんども別府市に住んでいます。
そんなわけでたまに別府に住んでいる人の近況を聞いたりすることもあります。で、そのたびに結構、意識の違いを感じるんですよね。少しばかり羅列してみます。
どちらが良いとか悪いとかの話ではなく「違うなぁ…」というだけの話です。「そういう違いがあるんだね」と楽しんで頂ければ幸いです。あと、僕は現在、都市(大阪)に住んでいます。そのためどうしても「都市居住者から見た地方」という視点になっているかと思います。マウントを取っているつもりはありませんが、そこに不快感を感じる方がいらっしゃいましたら先に謝っておきます。スミマセン。僕自身も大学時代に都会から別府に引っ越してきた人の別府に対する感想に「なんだコイツ、舐めてんのか」と感じた経験があるので…。
新型コロナウイルス(COVID-19)に対する危機感
地方の方が強い気がします。正確にお伝えすると「大都市から移動してくる人に対する危機感」と言った方がいいかもしれません。この話題は僕は親族としか話していないのですが、彼らには基本的に「大都市からの移動者は新型コロナウイルスの感染源」というイメージがあるように思えます。
まぁ、確かにその可能性がある事は否定しない。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会も「十分な感染予防対策が難しい場合は、帰省について慎重に検討しろ」と言っていますし。僕も今回の年末年始は帰省していません。
実際、僕も症状は出ていませんが、すでに感染している可能性もあります。そう考えるとPCR検査が人気になる理由もわかりますね。「PCR検査で陰性」は地方への入場パスだとみなされているのかもしれない。
ただ、PCR検査で陰性が出たところで、あくまでもその瞬間の判定に過ぎないし偽陰性の可能性もある。そんなわけで僕はPCR検査に対して「地方への入場パス」という価値をつけるのはどうかと思っていますが。
あくまでも僕はね。
やはり新型コロナウイルスの陽性者の絶対数は地方と都市部で大きな差がありますし、医療体制の薄さや高齢者率も地方の方が深刻。そのあたりが意識の差として表れているのかもしれません。
念のために繰り返しますが「そういう違いがあるな…」というだけのお話です。これに対してどういう価値判断をされるかは読者の皆様の自由です。
結婚・出産・自宅の購入などが地方はとにかく早い!
これは地元の友人等の近況を聞いたときによく感じます。僕は35歳で既婚者ですが子供はいません。持ち家もありません。持ち家が欲しいと思った事もありません。
出来れば将来的には別府・福岡・大阪・横浜・東京の各地にマンションやアパートを借りて、気分に応じて住む場所を変える生活をしたいと思っています。住む場所を定期的に変えるのが好きなのです。飽き性だから。
でも、地元にとどまっている友人の多くは子供もいるし持ち家もあるんですよね。しかも子供はもう小学生高学年だったりする。これ、ホントにビックリです。
どうやって育ててるんだ? 労力・お金の両面から信じられない。どうやって捻出しているのだろう…。地元にしか伝わっていない秘伝のノウハウがあるのか…? 謎です。
「近隣に親族が多い」とかが影響しているのかもしれない。地方の方が社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)が圧倒的に多いと思われるので…。
ソーシャル・キャピタルとは
社会・地域における人々の信頼関係や結びつきを表す概念。抽象的な概念で、定義もさまざまだが、ソーシャルキャピタルが蓄積された社会では、相互の信頼や協力が得られるため、他人への警戒が少なく、治安・経済・教育・健康・幸福感などに良い影響があり、社会の効率性が高まるとされる。直訳すると社会資本だが、インフラを意味する「社会資本」とは異なる。社会関係資本。
ソーシャルキャピタルとは|コトバンク
僕なんて都市を転々としているのでソーシャル・キャピタルほぼゼロの人間ですからね…。うーん。
大企業が社員を各地に転勤させるのは「それにより本人が保有するソーシャル・キャピタルを削っていき、企業に頼らなければ生きていけない状況を作るため」なのでは…みたいな黒い想像が湧いてきますが「Daily Choppy !」に相応しくない話題なので止めます。
この辺りに関しては地元の友人達と話すと、ちょっと色々と考えちゃいますよねー。
本日の締め
今回は僕の感じている地方と都市の住民の認識の違いについて書いてみました。
地方住まいと都市住まいのどちらが良いか悪いかは一概には言えないとは思います。どちらもメリット・デメリットがありますし、個人が何に価値を感じるかも色々だと思うので。時期によっても変わりますよね。
僕は今のところ今の生活に満足していますが、将来どうなるかはわかりません。どこに住むにせよ、満足して住める場所に住みたいところですね。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
住んでる場所って人の意識に大きな影響を与えるんだろうなぁ。