こんにちは。無茶振り大好き、チョッピーです。
実は実話は…
僕はどうも感性が多くの人と異なっている様で、一般的に人気が出ているモノに対して反感を抱く場合が少なくない。
模範的インターネット住民って感じ。
うーん…。
確かに「人気があるからイヤ」という中学生みたいな反骨精神もあるのだろう。
ただ、本当に「何がいいのか理解が出来ない」というケースも多い。
たとえば「感動の実話!」とか「実話を基にしたラブストーリー!」とかのキャッチコピーがついた作品は、本当に何故、それがセールスポイントになりうるのか全く理解が出来ない。
最近はあんまり見かけなくなったタイプのコピーですけどね。とはいえ、いまだに見かける事はあります。
確かにそれらのコピーを見かけると「へぇー、数奇な人生もあるもんだね」みたいな感想は抱く。だが、それだけだ。
「面白さ」という観点からは、お話の元ネタが実話だろうと創作だろうと関係ない。面白いモノは面白いし、面白くないモノは面白くない。
というか、そもそも論として「誰かの人生」に対して「面白いか面白くないか」とか「売れるか売れないか」みたいな尺度を適応して作品化するような試みを、僕は好ましく思わない。
人生はその様な尺度で測るべきモノではない。
その態度は、素材に選ばれなかった無数の人生に対する誠実さに欠けるモノだ。
拗らせ方がヒドい。別に誰も「作品化されなかった人生は面白くない」なんて言ってないし…。
そうね。論理的にはそうなんだけど。
多くの方はおそらく「実話を基にした~」的なコピーに対して、こんなに怒ってはいないのだろう。
でも、僕は昔から今に至るまでずっと怒っている。
伏線回収大好き
前回の『Daily Choppy !』にも書いたのだが、先日、博多に行った。
これは博多のコーヒー。
これは博多のスンドゥプ。
これは博多のマンゴーヨーグルトアイスパフェ。
これは博多のセブンイレブンのゼロサイダートリプルファイバー。
どれもこれも博多感がないにも程がある。
ドタバタしていたので、あまり写真を撮る時間がなくて…。
博多駅の外観や天神あたりの写真が撮れれば、それっぽくて良かったんだけど。
残念ながら、それらの写真は撮っていない。
なので、上にあげた4つの写真から博多の空気を感じ取って頂ければ幸いだ。
無茶振りの極み。
無茶振り大好きなので…。
意味不明なところで前口上の回収しないで欲しい。
キャプションの必要性
上に載せた4つの写真。
僕は確かにどれも博多で撮った。
…。
いや、失礼。
本当は一番最初のコスタコーヒーの写真だけは佐賀で撮った。
一瞬だけ佐賀にも行っていたのだ。
そうなのか。写真がコーヒーだのスンドゥプだの、どこにでもあるモノしか映ってないから、言われないとわからないわ。
そう、今の時代、コーヒーだのスンドゥプだのは、どこにいようと同じモノが買える。
それだけではない。
僕は今、大阪府箕面市に住んでいるが、過去には横浜・大阪市内・名古屋でも暮らしたことがある。
その経験上、横浜駅でも大阪駅でも名古屋駅でも、もちろん博多駅でも、ある程度の街であれば、そのターミナル駅近辺で楽しめるモノには、そんなに違いはないと感じている。
そこにはオシャレでキレイな百貨店や大型の商業施設が立ち並び、その中にはお馴染みの化粧品店・ハイブランド・レストランが入っている。
コーヒーやスンドゥプの写真ではなくても「これは○○で撮りました」というキャプションが必要となるケースは少なくないように思える。
差異が出るもの
最近は職種によってはリモートワークも定着してきているらしい。
それにターミナル駅近辺に限らず、どこの街でもチェーン店やコンビニ、はたまた大型商業施設…具体的な名前を言ってしまうとイオンモールなどの標準化された「同じモノ」を味わえる環境はかなり整ってきている。
だから、仕事も場所に囚われなくなってきたし、どこでも同じモノが味わえる。
つまり、今の日本社会は「地域ごとの差」がかなり少なくなっているのではないか。
今回の博多への旅で、僕はそれを強く感じた。
こうなってくると自分が住む土地を選ぶ決め手は、その土地の特性(たとえば山・海・温泉の有無・地価など)や、近隣の住民のタイプなどに限られてくるのかもしれない。
特に人は、本当に千差万別だ。
「実話を基にしたストーリー」に感動する人もいれば、反感を抱く人もいる。
「一緒にいて楽しい人が多く、一緒にいたくない人が少ない場所」さえ見付けられれば、もはや、どこに住んでいても、そこは都と呼べる時代なのかもしれない。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
「住めば都」は個人的には納得いっていないんですよね。近隣に苦手な人が多い場所は、都になり得ないと思います。