梅雨です。山頭火さんは、其中庵で、暑いなあ、なんて日記に書きながら過ごしています。
ふりかへるうしろすがたが年よつた
自分の老いを、ひょいと感じる瞬間があります。
一日一日、自分が老いていっているとは、なかなか感じないものですが、ある日、何かの拍子に、老いた自分と出くわして驚くことになります。
山頭火さん、今日はそんな日だったんですかね。
どうもこの、老いというものは、自分にバレないようにして、人を老いさせると思っています。
一日一日と、ほんの少しずつでも、確かに、人は老いていっているはずです。
一ヶ月に一回まとめて老いるというわけにはいきませんからね。
月一回、ローンを払うようにはいきません。もちろんリボ払いも受け付けてくれません。
しかし、老いは、自分が老いていっていることを、自分にさとられないように、じわじわときます。
正面から老いると、すぐバレると知っているんですね、たぶん。
老いは、自分に気づかれにくい、自分で直接に見ることができない背後をついてきます。
自分で、自分の背後の老いに気づくことは難しいですが、自分以外ならすぐ気づきます。
自分が中年になった時、親の背中を見みれば、簡単に、親の老いに気づきます。
ちょっと遠慮して、「背中、小さくなってない」と声をかけても、親は、「そうか?」なんて、まったく気づいていません。
気づかさないように、そっと優しく。
でも確かに、老いは、その取り分を背中側から取っていく。
私も、今日のお風呂上がりに、一度、ふりかえって見てみますかね。
山頭火さんのように。
しかし、梅雨のこの時期に、老いた自分に合うのは、気が滅入りそうだなぁ。
梅雨が明けてからにしようかな。
気づきましたか、そうですか。
皆は、とっくに気づいていたのでは、ありませんか、ちがいますか。
目を瞑りますか、そうですか。