山頭火さん、夏の終わりの其中庵です。
あすのあさの水くんでおくかなかな
お盆に、実家に行ってきました。
こう書くと、田舎に帰省した感があるのですが、車で、20分です。
でも、山の方へ向かうので、緑は、住んでいる所より、はるかに濃いです。
夕方、風鈴の音に混じって、実家の窓の外から、蝉の鳴く声が聞こえてきました。
カナカナカナ~
カナカナカナ~
クマゼミの季節が終わり、ヒグラシの声です。
ずいぶん久しぶりに聞いた気がします。
かなかなか。
子どもが初めて作った回文みたいになってますが。
かなかなです。
あの山頭火さんの句の最後と同じ、かなかなが、鳴いてました。
実は、最初に読んだ時、「あすのあさの水くんでおくかな、かな(明日の朝の水、汲んでおくかな、かな)」という風に読みました。
山頭火さんが首を二回、かしげている姿が目に浮かびます。
水汲んどこうかな、どうしようかな、ま、明日でいいか、そんな独り言的なことかと。
くんでおくかな。どこで切って解釈しとるねん、って話です。
バカなんでしょうか。俳句の鑑賞力0ですね。
でも、これ初見で鑑賞するの難しくないですかね。そうでもないか。
夏井いつき先生なら、これ一発鑑賞、速攻解説でしょうけど。
定型の俳句とは違い、五七五と、言葉の切れ目がはっきりしてないですからね、
自由律俳句。そこ自由ですから。
自由、ややこしくなりがち。
というか、ひらがなが多いのも、ややこしい。
わざとかな。
夕暮れ時、明日の水を汲みに、井戸の方に出てみると、かなかな(ヒグラシ)が鳴いていた。という情景ですね。たぶん。
かなかなの声の下。
明日の準備をしようとしている山頭火さん。
かなかなも、明日のこととか考えているのか。そんなわけは無いか。
今を全力で生きているだけか。そもそも、明日を知らないか。
今、明日の心配をしているわたしはどうだ、気ままに、自由に生きている、わたしは今日を精一杯生きたか。どうだ。
自由、実は、ややこしいやないかい。
なんてね、思ったんですかね。
蝉は、明日のことを思ったところで、朝には、命が尽きているかもしれませんからね。
かなかなの鳴き声、夏の終わりの夕暮れによく似合って、物哀しいです。
実家では、日が暮れる頃、気づくと、かなかなの声は止んでいました。
鳥にでも食べられましたかね。
山頭火さん、次の日、二十三日の日記は、『今朝はすっかり秋だつた』で始まります。
二十二日、カナカナの声に送られて、夏が終わったようです。
私の家のあたりは、まだまだ暑いですが、暑さの質は変わったように思います。
先延ばしにしますか、そうですか。
諦めてしまったのではありませんか、ちがいますか。
明日は約束されていますか、どうですか。