こんにちは。noteは読み専、チョッピーです。
「イヤな文章」を読んだよ
最近、立て続けに「イヤな文章」を2つも読んでしまった。ひとつは本で、もうひとつは note の記事。
note の記事の方は1回しか読んでいないけど、本の方は2回も読んでしまった。「なぜ自分がこの本にイヤな気持ちを抱くのか」をハッキリさせたかったからだ。
「イヤな文章」を2回も読むのは結構、辛かった。かなりイライラした。でも、そのおかげで、それらの文章に対して「何故イヤか」がある程度ハッキリしてきたように思う。今回はそれらについて書いてみたい。
ちなみにその本と記事のタイトルは?
名指しはしない。その本や記事の評判を落としたいワケではないので。
それに今回、書くのは「こういう本や記事はダメ!」という内容ではなくて「イヤな文章を読んでチョッピーが感じたこと」だ。個別具体的な本や記事自体の品質がどう…という内容は書かない。
なので、本や記事のタイトルを挙げなければいけない理由は特にないと思っている。ご了承ください。
何がイヤだったのか
本
端的に言って、そこに書かれている内容に根拠が感じられなかった。本の構成としては。冒頭で作者が有名な賞で優勝した…という権威付けが行われており、その理由を説明する形でノウハウが紹介されている。
だが、そのノウハウの確からしさについての説明が一切ないのだ。言ってしまえば「こうすれば人生は良くなる。何故ならば、そのやり方で僕の人生は良くなったから」と書かれているだけの本であった。
そこに僕は納得感を全く感じなかった。「それはたまたま、そのやり方で著者が上手くいっただけなのでは?」としか思えなかった。
たぶん、著者自身もその点には自覚があったのではないかと思う。文中で頻繁に「僕はスゴい」的なエピソードが挟まれてくるのだ。それにより権威付けを行い「権威のある人の発言は無条件に正しい」という後光効果をもって主張に説得力を持たせたいと考えたのではないかと推測する。
後光効果
ハロー効果,光背効果ともいう。人がもっているある特徴を評価する場合に,その人についての一般的印象やその人のもつ他の特徴によって,その評価が影響を受けやすい傾向をさす。たとえば,ノーベル賞を受賞した自然科学者の専門外の分野における社会的発言が権威をもって受入れられること。
後光効果とは|コトバンク
だが、本当に申し訳ないのだが僕はそれらのエピソードを読んでも著者の事を「スゴい」と思わなかった。そのため僕に限っていえば、著者に後光は感じなかったし、後光の無い人が根拠なく主張している話の内容に頷く事も出来なかった。
そもそも僕は冒頭で紹介されている賞の事を知らない。聞いた事もない賞に優勝した事を自ら誇られても、どこまでも信憑性が落ちていくだけだ。
自分の言葉に説得力を持たせたいのであれば「権威付けは自分でしない」「主張に根拠を持たせる」の2つは最低限、守る必要があるんだろうな…と思った。
note
こちらは本以上に僕の好き嫌いが強い。
note では「エモい文章がバズる」と言われがちな気がする。「エモければエモい程、いい」という文化があるような気がする。先日、僕が読んだ文章はそんな「エモみ」に特化した様な文章だった。
オシャレな装飾やリズム感を生み出すための体言止め。文章全体の雰囲気を柔らかくするためにあえてチョイスしていると思われる幼稚な単語。様々なライティングテクニックを駆使して「なんだかエモい文章」が形作られていた。
で、そういう文章に特徴的なのだけれど、最終的に何を言いたいのかサッパリわからないまま記事は終わりを迎えた。勘弁してほしい。
文章を書くのであれば、せめて何かの主張は入れてくれないだろうか。砂糖と小麦粉を混ぜて油で揚げてチョコとカラーシュガーでデコレートした謎のお菓子みたいなモノを大量に食べさせられても、こちらは胸やけを起こしてしまうのだ。それには何の栄養もない。ただ、気分が悪くなって体重が増すだけだ。
その中には辛味でも苦みでも塩気でも、なんなら、さらなる甘味でもいいので、せめて少しは「言いたいこと」を入れてほしい。僕が読んだ note の記事は、あえてそれを感じさせないように書かれていたようにも感じる。
もしかすると世の中には「言いたいことを隠して書く」という文章テクニックがあるのかもしれないが、僕はそのテクニックは嫌いだ。不誠実な様に感じる。
なにかを書くのであれば、必ず「主張を伝わるように書く」。これは本当に大事だと思う。
本日の締め
今回は僕の感じた「文章を書くときに意識すべきモノ」についてのお話を書いてみました。
今回の記事は僕が「自分が苦手だと感じる文章」を読んで考えた「苦手な理由」を「自分がその様な文章を書かないために意識すべき点」という形に整理した自戒の記事です。
実は過去に僕は「不快に思える表現も有益な活用方法がある」という主張を含む記事を書いています。『Daily Choppy !』の第138回↓です。
今回はここで書いた内容を自ら実践してみました。
どの様な表現にも存在価値はあります。自分が不快に感じたからと言って、一概に「表現をやめろ!」と叫ぶのが正しい態度だとは、僕は思いません。
皆様におかれましても、もし良ければ「なんだこのコンテンツ」と思われた際には、何故、自分がそう思ったのかを言語化出来るまで考えてみてはいかがでしょうか。かなり不快な作業になるとは思いますが、もしかすると、それ以前とは少し違った自分になれるかもしれません。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
当たり前だけど『Daily Choppy !』を「イヤな文章!」と思われてる方もいらっしゃるんだろうなぁ…。