【Daily Choppy !】第647回:こんなコンテンツはイヤだ!

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こんにちは。面白いコンテンツが好き、チョッピーです。

こんなコンテンツはイヤだ!
こんなコンテンツはイヤだ!

YouTube という名の赤い海

YouTube をよく観る。作業中にも作業をしていない時にも YouTube の動画をよく流している。2012年くらいまではニコニコ動画の方を多く観ていたが、2013年くらいからは専ら YouTube ばかり観ている気がする。

そんな YouTube は Googleが提供しているサービスだ。Google 自身が発表している記事↓によると2020年にユーザの YouTube 利用時間は大幅に増加したとある。

月間 6,500 万ユーザーを超えた YouTube、2020 年の国内利用実態──テレビでの利用も 2 倍に - Think with Google
Google が開催するマーケターの祭典「Brandcast」では、広告主や広告会社向けに毎年 YouTube の世界観を伝えています。2020 年は、テレビでの YouTube 視聴が 2 倍以上に伸びるなど利用実態も変化。そのほか YouTube の最新データや取り組みをまとめました。

どうやら YouTube をよく観ている人は僕以外にもたくさんいるようだ。

チョッピー
チョッピー

今、この記事を読んで頂いている読者の皆様の中にも YouTube を楽しまれている方は多いのではないでしょうか。

確かに YouTube には面白い動画が溢れている。2018年くらいからはテレビ等で活躍している有名人の方のアカウントを YouTube で見かける機会も増えてきた。2021年現在においては、かなり多くの有名人の方が YouTube に参入されているようだ。(参考:2020年新人YouTuberランキングは芸能人がほぼ上位独占 ― kamui tracker調べ

有名人以外の一般の方の動画投稿数も増えているように思える。実際、上で紹介した Google の記事にも『 YouTube にアップロードされた動画の総時間』は『80%増加』とある。(2019年6月と2020年同月の比較)

YouTube はまさに戦国時代。今、最も苛烈なレッドオーシャンであると言えるのかもしれない。

経済の世界においては競争は基本的に市場の活性化をもたらし、ユーザにとっての価値向上に繋がるとされている。そう考えると今の YouTube は史上最高に面白い場になっていると言えるのかもしれない。

ただ、実は僕は最近、YouTube の視聴時間が減っている。その代わりに radiko というサービスでラジオを聴いているからだ。

これには色々な理由がある(参考:【Daily Choppy !】第640回:カフェインを超える集中導入剤を見付けました!)が「YouTube には確かに面白い動画も多い。だが、それ以上にあまり面白くない(と僕が感じる)動画が増えてきた」のも一因だ。

チョッピー
チョッピー

他にも全体的に僕が好きな YouTuber の方の投稿頻度が下がってきた(気がする)から…などの理由もあります。

面白さと面白くなさを分けるモノ

ラジオは面白い。特に僕はどうやら深夜ラジオが好きなようだ。昨日の夜に聞いた『星野源のオールナイトニッポン』は最高に面白かった。

チョッピー
チョッピー

下ネタが好きなだけなのでは?

その可能性はある。でも、まぁ、他のラジオ番組も基本的には楽しく聴けているので、今のところ僕はラジオ番組を全体的に「面白いと感じている」と言えるとは思う。

一方、もちろん僕には「面白いと感じられないコンテンツ」もある。特に苦手なのはいわゆる「エモみの強い文章」だ。

先日、たまたま読んでしまったそれを題材にした記事↓も書いた。

僕もふらとぴクリエイターとして日々、本サイトに掲載するためのコンテンツを制作している身。「面白い」と「面白くない」の違いには興味がある。出来れば「自分が味わって面白いと思えるコンテンツ」を作りたいからだ。

「自分が作って楽しいコンテンツ」は簡単に作れる。たとえば今、僕はこの記事をいきなり「うえべてれええええ」みたいな意味不明な文章で埋めて、そのまま「はい、終わり!」と言って記事を終わらせてしまうと面白いかもな…と感じている。意味不明な画像を埋め込むのもいいかもしれない。

たぶん、それをやっている時は面白い。大笑いしながら記事を書けそうだ。でも、そんな記事の書き方はしない。「その結果、出来上がったコンテンツを読んでも何も面白くない」のが容易に想像できるからだ。

「面白いコンテンツ」と「面白くないコンテンツ」にはどんな違いがあるのだろうか? 少し考えてみた。

面白くない話の代表格として「自分語り」が挙げられる気がする。マイナビウーマンというメディアに「隙あらば自分語りする人の心理&対処法」というヒドいタイトルの記事まであった。

自分語りする人の特徴とは? 自分語りが多い心理と接し方のコツ
「他人の自分語りがうざい……」と思ったことはありませんか? 自分語りが多い人の心理状態を分析しながら、カウンセラーの高見綾さんが対処法を解説します。
チョッピー
チョッピー

対処法…。この記事においては「自分語りをする人」はまるで災害みたいな扱いを受けている(ような気がする)。それほどまでに「自分語りは面白くない」という事なのだろうか…。

「面白くない」の条件は「自分の事を語る」なのだろうか?

何もわからない

「自分を語ると面白くない」はなんとなく正しいように思える。

でも、よく考えると「自分の身に降りかかった不幸」や「自分が遭遇した奇妙な出来事」などは「面白い話」の定番のネタでもある。物語ですら「主人公の自分語り」と言えなくもない。

こう考えると「自分語り」にも「面白い自分語り」と「面白くない自分語り」があると言えそうだ。コンテンツの主軸が「自分」でもテーマや使い方によって面白さは変わる。では、面白さを決定づける要素とはなんなのか。

「自分の内面」を語ると面白くなくなるのだろうか? 確かに僕が上で挙げた「面白い話の定番のネタ」は「内面」ではなく「出来事」を語っているタイプの話になっている。

だが、物語においては主人公の内面が語られるシーンは頻出する。登場人物の内面が全く語られないタイプの物語もあるが、どちらかと言えばそちらの方が少数派だと思う。

それに内面の発露の極致ともいえるタイプの芸術作品もある。芸術作品は当然、面白い。「funny」というよりも「interesting」な面白さの場合が多いかもしれないけど、面白い事には違いはない。

そう考えると「自分の内面を語る」も「面白くなさ」の理由としては弱い気がする。

チョッピー
チョッピー

「面白さ」を決める要素とは一体、なんなんだ…!?

わからない…。面白さとは…。正しさとは…。愚かさとは…。それが何か見せつけてくれ!

チョッピー
チョッピー

わかりにくいパロディは止めた方がいい。すでに旬も逃してる気がするし。

はい。

「益を目的に自分の内面を語る」のはヤバい

仕方ないので「嫌いなタイプの文章」をじっくりと読んでみた。

僕がその文章に対して感じる「イヤな気持ち」を分析すれば「面白くなさ」の理由がわかるかもしれないと考えたからだ。結果、ひとつの要因に気付いた。

おそらく僕は「自分の内面を語り、それにより何かしらの益を得ようとする態度」に面白くなさを感じる。益とは例えば「他者からの承認」や「直接的な金銭」などだ。

これらの益を目的に、自分の内面を語っているコンテンツは僕にとって全て面白くない。そのようなコンテンツは「自分の内面を語っているだけのコンテンツ」にも「益をよこせと直接叫ぶコンテンツ」にも(僕の価値基準に照らし合わせると)劣る。何も面白くない。

この結論が万人に適応できるモノかどうかはわからない。たぶん、適応できないと思う。何故ならば僕が「面白くない」と感じるこれらのコンテンツにも多くの「いいね」が集まっていたりするからだ。

価値観が異なる以上、おそらく「面白さ」と「面白くなさ」をわける基準も人によって異なるのだろう。でも、少なくとも僕は「自分の内面を語り、それにより何かしらの益を得ようとする態度」を面白くは思えない。

これがわかったのは大きな収穫である。この態度を避ければ「自分が読んで面白くないコンテンツ」をうっかり作ってしまう可能性を減らせるからだ。

チョッピー
チョッピー

まぁ、おそらく他にも「コンテンツを面白くなくする要素」はあると思うので、まだまだ僕が「自分が読んで面白くないコンテンツ」を作ってしまう可能性はあるんですけどね。

それはまた別の話。「つまらなくする要素」をひとつずつ潰していけば、いつか「面白いコンテンツ量産系ふらとぴクリエイター」になれる日も訪れるかもしれない。

本日の締め

今回は僕が見付けた「コンテンツを面白くなくする要素」についてのお話を書いてみました。

本文中にも書いた通り、今回、僕が見付けた要素は僕にだけ適応できるモノかもしれません。ただ、これを参考に考えると「面白さ」と「面白くなさ」を分けるモノは、本当に繊細な違いなのだと思います。同じ「自分語り」でも、内容や語り口によって面白さには雲泥の差が出るので。

エンターテイメントの世界は本当に修羅の道ですね。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

修羅じゃない道の方が世の中には少ないのかもしれない。

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