こんにちは。やりたいほうだい好き、チョッピーです。
勇者ヨシヒコの叫びが聞こえる
「○○したいだけの人生だった」というネットスラングがある。
その基本的な意味は言葉の通り「○○したかった(だが出来なかった)」だ。
もう少し詳細な意味や使用例などが知りたい方は上に貼り付けたサイトを読んでみてね。
個人的にはこのスラングがよく使われていたのは2012年くらいから2015年くらい?な気がしている。最近はあまり見かけない。
ところが!
先日、このネットスラングにかなり近いニュアンスの言葉と共にマンガが投稿されているツイートを見付けてしまった。
「なんか懐かしい!」と思うと共に「恋人?と思わしき二人が夜に一緒にラーメンを食べて、そのままエッチな雰囲気に…ってホントに何の変哲もない大学生活だな」とも思った。
ラオウの最期のセリフが聞こえる
先日、この連載で「経験しないと分からない事ってあるよね」という話を書いた。第802回だ。
これってやっぱり真理だよなぁ…と思う。
自分で書いた記事を引き合いに言う事でもない気もするけれど。
たとえばの話、僕は上に貼り付けたツイート内のマンガに対して「雰囲気が良くて好き! キュンキュンする!」とは思う。僕は恋愛漫画が好きだし。
でも「こんな大学生活を送りたかった!」とは思わない。
何故ならば僕は自分の大学生活に一切の不満を感じていないからだ。
ワイドショーの喧騒が聞こえる
最近、あまり聞かない言葉と言えば「アダルトチルドレン」なんてのもある。
子供のころの家族関係などが原因で、精神的に不安定な状況で育ち、成人後も生き方に悩んでいる人。元来は米国で、アルコール依存症の親のもとで育った人をいう。アダチル。AC。
アダルトチルドレンとは|コトバンク
その代わり…なのかどうかはわからないが、最近では「親ガチャ」なんて言葉がアツい(?)。
天下のNHKですら、その言葉を題材に記事を書かれている。
アダルトチルドレンは幼少期に与えられなかった「家庭からの愛・安心」などを青年期以降も求め続ける…みたいな話を聞いた事がある。僕は精神医学等に明るいわけではないので、この説が正しいのかどうかはわからないけれど。
そんな満たされない渇愛を感じている人の口からこぼれ出た言葉の刃が「親ガチャ」なのかもしれない。
大抵の場合はこんなに深刻な使われ方はしていないと思いますけどね。みちょぱが『だいたいは軽い意味』と言っていたり松本人志が『若い人たちがもっと軽やかな感じで遊んでいた言葉』と言っていたりしますし。
歌が、そうとしか聞こえない
今まで書いてきたように世の中には理想的な大学生活に胸を焦がしたり、与えられなかった愛や安心を求め続け苦しんでいる人もいる。その原因はどちらも「経験できなかったから」のように思える。
国民的アニメ『忍たま乱太郎』の主題歌として有名な『勇気100%』という歌がある。
この歌の一節に『やりたいこと やったもん勝ち』とある。
欲望の解消方法には2つあるのではないかと思う。
- 諦める
- 満たす
「1」で欲望を解消するのはなかなか難しい。全てに対してそれが出来るのであれば、今すぐ解脱できるのではないかという気もする。
となると、多くの人は「2」の方法で欲望を解消するしかない。さもなければ永遠にその欲望に苛まれるだけだ。
そう考えると、やはり『やりたいこと やったもん勝ち』だし、この歌の替え歌として有名な『ヤりたい娘(こ)と ヤッたもん勝ち』も本当に正しいな…と思う次第だ。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
今日は土曜日なのでライトな記事を書こうとして卑近な話題ばかり取り上げてみたのですが、思いがけずシリアスな雰囲気を漂わせてしまった気がしなくもありません。あと、一応、念のために書いておきますが、本記事は犯罪や公序良俗に反する行いを推奨するモノではありません。