こんにちは。世界大好き、チョッピーです。
犯罪者の主張
エコテロリズムという言葉がある。
エコテロリズムとは、環境や動物の保護などを目的に破壊や脅迫、暴力的行為を行う場合にいう。その活動団体としては、動物解放戦線、地球解放戦線、シーシェパードなどが知られており、放火や爆破、略奪などの非合法活動を行っている。自己の主張を実践するためには手段を選ばない行動は、他のテロリズムと同様に、広く賛同を得られるものではない。
テロリズムとは|コトバンク
この言葉、イギリスの環境団体「Just Stop Oil」による美術品への破壊活動に関連して、よく耳にするようになった。
だが、実はこの言葉の初出は2002年。
アメリカ連邦捜査局(FBI)の幹部が2002年の議会証言で「エコテロリズム」という表現とともに用いた。日本の調査捕鯨に反対し、捕鯨船への妨害行為を繰り返しているアメリカの環境保護団体シー・シェパードなどの団体があげられている。
エコテロリスト | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas – イミダス
2002年と言えば20年前だ。
昔から「環境保全のためならテロ行為もいとわない」と考え、それを実践する不逞の輩は存在していたようだ。
不逞の輩とはまた辛辣な表現だね。
僕は彼らの行動に一片の正当性も感じていないから仕方ない。
たぶん、そう思っているのは僕だけではないとも思う。
上に貼り付けたNHKの記事でも
環境と哲学が専門で環境保護団体の抗議活動に詳しい明星大学の浜野喬士准教授は「行動が非常に過激化していると感じる。ゴッホの絵を汚すという行動は社会の共感は得られず、ほとんどの人が嫌悪感を抱く行動だと思う。
環境活動家の絵画標的 相次ぐ理由は モネやゴッホ「モナリザ」も被害 | NHK政治マガジン
との意見が書かれているし、僕がちょくちょく紹介させて頂いている「やさしいビジネススクール」学長の中川氏も動画内でエコテロリズムを指して『最悪の交渉手段』と呼んでいる。
とはいえ、僕もエコテロリスト達が訴えている「環境保全の必要性」に限って言えば、まぁ、別に反対はしていない。
持続可能な地球環境の維持のためには自然環境の維持・保全を行う必要はあるのだろう。よく知らないけど。
だが、ではエコテロリスト達の活動を許容するのか…と問われれば、答えは「No」だ。
それどころか、彼らには環境保全活動に関わってほしくないとまで思う。
意味不明な理屈で勝手に激怒して、文明に対する破壊活動を行うような理解不能な犯罪集団の活動を「わかる~」と受け入れてあげるほど、僕は反社会的な人間ではないのだ。
これでも物凄くマイルドな表現に留めているつもりです。不快に感じられた方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。
森を守れ!
しかし、最近は本当に「エコ」に対する政治的に正しい態度が強く要請される世の中になってきたように思える。
エコテロリストのような人間社会の極北に住む方々の行動は論外としても、たとえば「紙ストローの導入」に関しては、少なくとも企業の判断としては「導入すべき」とされているように思える。
たとえばスタバとか…
マクドナルドとか…。
きっと、今後も海外資本の企業を中心にポリティカルにコレクトでエコな判断が続くのだろう…。うん。
あからさまに嫌そうな書き方するじゃん。ポリティカルにコレクトではない態度だね。悔い改めた方がいいよ。
いや、だってねぇ…。
紙ストローってあからさまにプロダクトとしての品質が低くて、ドリンクの体験価値を損なうじゃん。
マクドナルドの紙ストローは使った事が無いからわからないんだけど、少なくともスタバの紙ストローについては、僕は全く受け入れる気にならない。
エコだかなんだか知らないけれど、それって僕の満足感を損なってまで守らなきゃいけないモノなの?
そもそも、今、環境に何の問題があって、それが「紙ストローを使うこと」によってどの程度、良い影響を及ぼすの?
それに、僕が子供の頃は「熱帯雨林の破壊を防ぐために紙を使わないようにしよう!」という主張がされていた気がするんだけど!?
熱帯雨林はどうなってもいいって言うのか!?
落ち着けよ。
失敬。
紙ストローに対する怒りのあまり我を忘れてしまった。
なぜならば
上では冗談めかして紙ストローへの疑問を書いたが、もちろん企業がそれを導入する背景には、それに足るだけの理由がキチンとある。
数年前からよく耳にするようになったSDGsを題材に説明してみよう。
“S”ugoku “D”ekai “G”oemon de”s”u.
ゴエモンインパクトの話じゃないのよ。
SDGsとはSustainable Development Goals…つまり「持続可能な開発目標」を指す。
「プラスチックストローから紙ストローへの移行」は一般にSDGsの17の目標のうちの「12: つくる責任つかう責任」と「14: 海の豊かさを守ろう」の達成に寄与すると言われている。
僕の理解でザックリと書くと、つまりは「プラスチックって適切に破棄しないと超長期間、地球の環境を汚染し続けるし、実際に今、そのせいで海はムチャクチャ汚染されてるのよ」という事になる。
また、紙ストローに関しても「FSC認証」を取得している製品に関しては「資源の無秩序な破壊」にはつながらないとされている。
まぁ、「だったらプラスチックを適切に破棄すればいいだけなのでは?」との疑問は成り立つ気がするので、SDGsの「12」と「14」の目標達成のために「プラスチックストローから紙ストローへの移行」という手段を採用するのは、論理的には正しくない気がしなくもないのだけれど。
企業から言わせれば「客にプラスチックストローを提供したら、その適切な破棄なんかされないだろ!」という理屈になるのかもしれない。
他人事からの脱却
もちろん、上に書いた理由を知ったところで、今の紙ストローの品質を受け入れるかどうかは別問題だ。
やっぱり急にその商品の体験価値を下げられると、なかなか納得はしづらい。今までと同じ値段を払っているのだから、なおさらだ。
でも、上に書いた理由さえ知れれば、今までの様な「企業の理解不能な判断により、一方的に顧客が不幸な目に陥れられている」という理不尽さは感じなくても済む。
もしかすると「社会と企業と顧客、全員が満足するためにはどうすればよいのか」みたいな、建設的な意見も出てくるかもしれない。
やはり「知らない世界の、知らない課題」については解決する気にはならない。それどころか反発心を覚える可能性すらある。
僕達がテロリストにも、その被害者にもならないためにも、「知る事」と「知らせる事」は大切なのかもしれない。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
『ふらとぴ』もとある社会課題の解決を目指しています。もう少し情報提供に力を入れる必要があるのかもしれません。