こんにちは。チョッピーです。
今回の記事について
今回はチョッピーが「純粋になりたい姿を目指すのは危険なのでは?」という主張を述べる回です。
「こだわり」について少し解像度の高い話が出来るようになってきた気がする
「Daily Choppy !」第346回にて「サムネ・動画を作るのに自分のこだわりなんて不要」という主張を述べました。
こちらの記事は実際に僕がYouTube的なサムネ・動画を作っている中で感じた事を述べたモノです。
今も引き続きYouTube的なサムネ・動画を作り続けています。すると、上の記事をアップしてからまだ数日しか経っていないのですが、早くも「もう少し適切な言い方があるような…」という気がしてきました。
すなわち「クオリティの高いアウトプットのためには”こだわり”の中でも特に”自分へのこだわり”を捨てた方がよいのではないか」と思い始めてきたのです。
「なりたい姿」を目指すのってどうなの?
自己啓発的な文脈や就職・転職のアドバイスとして「なりたい姿を目指そう!」というモノがあるように思えます。参考に提示しますと「なりたい姿」でのGoogle検索結果はこちらです。
確かに「なりたい姿」になれれば幸せでしょう。それを目指すのは単純に考えれば、とても良い事であるように思える。
ただ、個人的な考えではありますが「なりたい姿を目指す」のって、なかなか危険な道であるような気もしています。人には限界があるので、思い描いた「なりたい姿」によっては「絶対に達成不可能な姿を目指し続ける人生」になってしまうのではないか…と思うからです。
たとえばですがロックバンド「スピッツ」の名曲に「猫になりたい」というモノがあります。歌詞はこちら↓
この歌は名曲なのですが、残念ながら人は猫にはなれません。猫はあんなにかわいいのに! 人は猫にはなれないのです!
なれないのです!
自分は素材
サムネイルや動画を作成する場合、僕は自分を「コンテンツにおける素材のひとつ」としてしか認識していません。
これは僕自身が「演者かつ編集者」という立場にあるからかもしれません。
「自分が最もよく映るためには」という考え方ではなく「観た人が最も楽しめるためには」という観点で自分を活用しています。実際のクオリティはさておき、そういう気持ちでコンテンツを作成しています。
この場合、当たり前ながら「チョッピーという素材を活用して作成できる最高レベルのクオリティのコンテンツ」を念頭にコンテンツを作成する事になります。
僕が藤原竜也や松坂桃李や菅田将暉や橋本環奈や猫であれば作れたかもしれないコンテンツを作ろうとしても仕方ありません。僕は藤原竜也や松坂桃李や菅田将暉や橋本環奈や猫ではないからです。
それぞれの素材に適した完成形がある
パンを使ってチャーハンを作ろうとする人は、おそらくあまりいないハズです。無理やり作ったとしても美味しいモノにはならないでしょう。それぞれの素材には適した調理法があります。
パンは例えばサンドイッチやチーズフォンデュなどの姿になるのが一番おいしい。そうであるならば、それを前提に置いたうえで自分がなりたい姿を修正してくのが良いのではないでしょうか。
「なりたい姿はAだが、なれる姿はC。だったら間のBを目指そう」とか「なれる姿がCなのであればCの中でトップを目指そう」という様な考え方もあるのではないかな…と思う次第です。
ちなみにチャーハンと言えば、セブンのおにぎりを使ってチャーハンを作る動画をヒカキンさんが最近アップされています。
今回の記事とは何の関係もありませんが、面白かったのでご紹介して締めに入りたいと思います。
本日の締め
今回は「純粋になりたい姿を目指すのは危険なのでは?」という主張を述べてみました。
もちろん「死んでもチャーハンにはなりたくない!」という人に「それでもお前はチャーハンを目指せ」と言うつもりは毛頭ありません。理想の自分と現実の自分を冷静に客観視して「どの様なところに落ち着けば満足できるか」を考えるのって生きていく上で大切な気がしているだけです。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
チャーハンを連呼していたらお腹が空いてきました。