こんにちは。お茶漬け好き、チョッピーです。
近隣都市好き
僕は今、大阪に住んでいる。
2019年の4月に前職の職場があった名古屋から引っ越してきた。
2019年といえばコロナ過が巻き起こる1年前。
引っ越してきた直後はせっかく大阪にいるのだから、近隣の都市…具体的には京都や神戸などにも色々と遊びに行きたいと企んでいた。
名古屋に住んでいた時も岐阜・三重などにはよく遊びに行っていました。
実際に2020年4月までは京都にもちょくちょく遊びに行っており、その様子を本連載『Daily Choppy !』の記事にしたりもしている。第116回とか、
第233回とか↓だ。
僕は結構、京都が好きなのだ。
大阪・神戸などの他の地域も同様に好きです。
有無
京都は日本の古都だけあって、色々な文化遺産がある。
それらの中には神社仏閣などの物質として存在するモノ以外にも無形のモノもある。
やはり都としての歴史が長いと文化も発展しやすいのだろうか。
もちろん他の地域にも歴史も文化もありますけどね。
京都の文化、もちろんこれにも色々な種類があるのだろうし、そのひとつひとつにそれぞれの奥深さがあるに違いない。
僕はそれらにあまり明るくなく、京都の文化はネットでよく話題に上るステレオタイプなモノしか知らない。いわゆる婉曲表現だ。
噂の真相
京都の婉曲表現にはどの様なモノがあるのだろうか。
噂によると京都の方が言うところの「ぶぶ漬け、どうどす?」は「お茶漬けでもいかがですか?」という意味ではなく「早く帰れ」という意味になるらしい。
また、コロナ禍における『東京大変らしいけど、そっちマスクとティッシュ足りてる?』は「京都には来るな」という意味になるらしい。
なお、これらのエピソードは僕ことチョッピーが言っているわけではなくて、前者は『京の茶漬け』という上方落語にて語られている話であり、後者はFNNプライムオンラインの『帰省を相談したら「東京大変らしいけどマスク足りてる?」…“京都特有”の言い回しの難易度が高い』という記事内で紹介されているお話です。くれぐれも誤解なきようお願い申し上げます。
ちなみに京都市観光協会が運営している『京都観光Navi』によると「『ぶぶ漬け、どうどす?』 = 『早く帰れ』説」は間違っているらしい。
「ぶぶ漬け、どうどす?」と、訪問先で勧められたら、そろそろお帰りくださいというあいさつで、本気にとれば笑い物になるというのが京都のぶぶ漬け伝説です。京都人のイケズを象徴する話として、落語「京の茶漬」のように、まことしやかに語られますが、実際に経験したという話は聞いたことがありません。本来は、「何にもないけど、ぶぶ漬けでも食べてゆっくりしていってくださいね」という京都流の控えめなやさしさの表現のようです。
お茶漬け(ぶぶ漬け)|【京都市公式】京都観光Navi
良かった。京都の方は婉曲表現の使い手ではなかった。
僕は察しの悪い人間。婉曲表現は基本的に理解できないのだ。
真偽不明
たまに「お礼は言われたけど、本当に喜ばれているか不安…」という意見を見かける事がある。
正直、そんなの気にしても仕方がないと思う。
ある人の内面と、その人が外に出す言葉・文章・振る舞いに関係があるとは僕には思えないのだ。
いや、僕の考えを正確にお伝えすると、もちろん「所作に内面が表される」のは事実だと思う。
また、心のキレイな人が「心のキレイな人が書いたと思われる文章」を書く事などもあるだろう。
ただ、人間は「内面と全く関係のない言葉・文章・振る舞い」を表出させる事も出来る。
もちろんこれは僕にも出来る。
僕は仮に嫌いな人に対してであっても「わぁ、お久しぶり? お元気ですか?」と極めて親密そうに振舞えるし、「スゴいですね!」と思ってもいない感嘆の言葉だって漏らせる。もちろん、その後には「今日は楽しかったです!」とお礼もキチンとする。
社会人ですので。
僕に出来るのだから、当然、他の人にも出来るのだろう。
読心術の使い手ではない限り、「素晴らしいお土産をありがとう!」と言われた場合に、相手が本当にそう思っているのか、もしくは婉曲表現を使いこなしているのかを推し量る事は出来ない。
推し量れないモノを気にするのは時間の無駄。
相手の真意を探ろうとして無駄なコミュニケーションを取り続けていると、それこそ、不意に「ぶぶ漬け、どうどす?」と提案されてしまうかもしれない。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
相手が何を考えているかを推し量れない以上、常に自分の考える最善手で対応し続けるしかないですよね。それで相手の機嫌を損ねてしまった場合は、もう、その人とは縁がなかったと諦めるしかないのでしょう。