こんにちは。落ち着きたくない、チョッピーです。
Maybe the body is already dead…
今日、突然、首の左側を傷めた。首を少し左側に動かすだけで激痛がする。
原因はサッパリわからない。傷めたキッカケもわからない。
夕方くらいにトイレに入り座席に座ったところ、突然、首が痛くなってきたのだ。
そんな事ある?
実際にあるのだから仕方がない。僕もこんな展開は信じたくない。
でも、そう言えば僕は2週間くらい前にも首を痛めていたのだった。
その時に痛めた箇所は今回と違い首の右側だったが、その時も何の前触れもなく突然、特に変な動きもしていないのに、首が痛くなったのだった。
さらに一ヶ月くらい前から右肩も痛めていて、それもまだ治っていない。
ボロボロじゃん
そうなのだ。
もしかすると、もう、この体はおしまいなのかもしれない。
宣言
僕には出来ればこれだけは言いたくない…と常々、思っている言葉がある。
それは
いやー、もう若くないからなぁ…
だ。
なぜこの言葉を使いたくないのか?
それはこの言葉は僕にとって加齢を言い訳にした努力の放棄宣言であるように聞こえるからだ。
自己正当化疑惑
具体的に何歳からそうなるのかは僕にはわからないのだが、人間の体はある時を境に「時を経るごとに成長する体」から「時を経るごとに老化する体」に切り替わる。
もちろんアンチエイジングという言葉などがある通り、このスピードを遅くする事も出来る。
さらに、筋肉に関しても年齢に関係なくトレーニングさえすればその量は増やせるらしい。
「いやー、もう若くないからなぁ」という言葉は、僕には、これらの活動をしていない人の自己正当化の言葉のように思えていたのだ。
…つい最近までは。
加齢という事実
僕は今、36歳。
特に美容面でのアンチエイジング活動はしていないが、筋トレはかなり熱心に行っている。
なので体力面に関してはあまり加齢の影響は感じていなかったのだが…最近はどうも以下の2点において逃れ難い老化を感じている。
- 故障のしやすさ
- 回復力の低下
「1」に関しては本記事冒頭に書いた通り肩や首を(意味不明に)痛めやすくなった。
「2」に関しても先日の緊急帰省の疲れが本記事掲載日(11月27日)現在においても取れている気がしていない。大阪に戻ってきた翌日(11月26日)なんて本当に何も出来ないくらいだった。
どうも、人間の老化には「抗えるモノ」と「抗えないモノ」があるように思える。もしくは「老化タイプ別の対応方法」があるのかもしれない。
少なくとも、今の僕の生活のままでは加齢に伴う「故障のしやすさ」と「回復力の低下」という2つの老化への対応は不十分なようだ。
「いやー、もう若くないからなぁ…」という言葉、それを言い訳として使うのは避けたいところだが、現実として「もう若くない」という点は受け入れなければいけないのかもしれない。
ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイトに「ヒトの老化は、34歳、60歳、78歳で急激に進むことがわかった」という記事もあります。それらのタイミングで、体の変化(=老化)に合わせて生活態度を変えていく必要があるのかもしれませんね。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
しかし、「故障のしやすさ」と「回復力の低下」に抗うためには、どの様な対応を取ればいいんでしょうねぇ…?