晩秋の山頭火さん、其中庵です。冬を目前に金銭的にキツそうです。
そんな日からの一句。
時計を米にかへもう冬めくみちすぢ
翌々日、十一月十八日の日記に『時計を質入れして食料品を買ふ、これで当分は餓えないですむ、ありがたい。』とあります。
質屋の期限は三ヶ月ですから、それまでに、元金と質料(利息)を支払わないと、時計は返ってきません。
まあ、利息だけ払って延長という手もありますが。
十八日には、次のような時計にまつわる句も詠んでいます。
けふから時計を持たないゆふべがしぐれる
時計、まあまあ未練ありそうですが、この時計どうなりましたかね。
質出しできたかな。
日記からは、はっきりしません。
さて、相変わらずのどうでも良い話ですが、私、時計を米に変えたことはありませんが、ギターを指輪に変えたことがあります。
話すと長くなるので、省略しますが、これで良かったのか、と帰る道すがら考えながら歩いたことを思い出しました。
あの時も冬でした。
指輪を使う魔法は、ゲームの世界では、なかなか効力があるものですが、現実では、一瞬効きますが、その効果は長続きしませんね。
『ルビーの指輪』という歌が流行った少し後の話です。
山頭火さんの時計。
当分大丈夫そう、ということは、まあまあ、良い時計だったんですかね。
それとも、今のように、安価な時計が溢れている時代ではないですから、時計というだけで価値があったのかも。
手放しますか、そうですか。
代わりになにか手に入れましたか、どうですか。
偽物かもしれませんよ、ちがいますか。