山頭火さん、別府から湯布院へ歩いています。
ずんぶり濡れてけふも旅ゆく
わたしも、このコースをバイクで旅したことがあります。
目的地が湯布院ではなかったので、通過しただけですが、バイクで30~40分ぐらいだったでしょうか。
高原をゆく気もちのいい道だったと記憶しています。
日記に、『立派なドライヴウヱー、自動車はうるさい(歩くものには)』とありますので、同じ道だったのではと思います。
山頭火さんの道中は、雨に風、さらに霧まで出て、大変だったようですが、宿に着いて、のんびり温泉につかった後にこの句を詠んだのでしょう。
あの道を、悪天候の中、ずんぶり濡れて歩くのはかなり大変そうですが、今日の山頭火さんの句は、この日に詠んでいる他の句を含めて、どこか楽しそうです。
旅の途中の山頭火さん、だいたいご機嫌で前向きなことが多い気がします。
庵にこもっていると、いろいろ澱んでしまうのかもしれませんね。
旅に出て、体を動かし、毎日、見るもの聞くものが変化していく。
そこで、自分の中に溜まったものを、適時、句に詠んでアウトプットする。
その環境が心にも体にも良いんだと思います。
昔、よく旅をした私の実感として、分かる気がします。
どんな環境が自分に合うかは、人それぞれです。
一概には言えませんし、もちろん旅すれば良いってものでもないです。
特に、自分探しの旅という言い方は、かなり気をつけた方がいいと思っています。
このあたりの話を書くと長くなるので、また機会があれば。
それぞれに合った方法があるはずです。
自分の話に戻しますと、私は随分長い間旅をしていません。
相当、澱んでいる気がしてきました。
山頭火さんのこの句にふれ、昔の自分と今の自分を比べ、その積もりに積もった澱みの深さに気づいたのかもしれないです。
恐ろしくなってきました。
毎日入ってくる、いろいろなものが、アウトプットしている分よりはるかに多く、消化しきれないものが、どんどんたまって澱んでしまう。
脂肪とかコレステロールとか方面の話と同じかもしれません。
消化しきれもしないのに、ついつい食べ過ぎる。
美味しそうだといっては口に入れる。
ビールとピザで十分なのに、なぜフライドポテトとフライドチキンも頼むのだ、わたし。
お店がオススメ上手なのか、揚げ物が好きすぎなのか。
なぜたまって澱むのか。
体の方は、その原因が割と分かりやすいです。
影響についても、鏡の前に立てばわかります。お腹の脂肪をつまめば実感できます。
今も、おなかの脂肪をつまみながら書いています。
心の方は、原因がなかなかわかりません。
その影響は、何の前に立てば気づくのか。
なにを、どこをつまめば実感できるのでしょうか。
心にとっての鏡は、なんなのですかね。
山頭火さんにとっては、俳句が心の鏡なのかもしれません。
人それぞれに、鏡となるものは違うのでしょうが、アウトプットできる、吐き出すことができる、ということが、鍵になるような気がします。
澱みに慣れてしまいましたか、そうですか。
心のどこかでは、澱みに気づいていたのではありませんか、ちがいますか。
澱みを覗き込むのが怖いですか、そうですか。