こんにちは。無類の夜明け前好き、チョッピーです。
スタイルも文章もダイエットが大事
最近「いかに余計な言葉を取り除けるか」に気を使って文章を書いている。
前回の『Daily Choppy !』(第1059回 ↓)では「嫌な感じを与える文章を書かない」という内容を書いたし
前々回(第1058回 ↓)は「そもそも自分と関係の無い話題に首を突っ込まない」という内容を書いた。
とにかく公に公開する文章に関しては、不純物は可能な限り取り除いた方が良い。
純度の高い文章。
それがクオリティの高いテキスト系コンテンツに必要な要素だと感じている。
琴線ビンビン
本記事掲載日(6月8日)の未明、作業後に筋トレをした。
時刻は午前3時32分。
普通に考えれば、もう寝るべきだが…。
全く眠くない。
眠くないなら、無理に眠る必要はない。
そう考え、僕は気晴らしと有酸素運動を兼ねてサイクリングに出掛けた。
しばらく自転車でウロウロしていると、やがて太陽が昇り始める。
そこで、僕は琴線に触れる光景を目にした。
陽の光と星が同時に存在しており、まるで夜と朝が交わっているかのよう。
思わず写真に撮った。
見ればわかる
僕は現代人なので、写真を撮ったら、すぐに SNS に上げたくなる。
こんなに綺麗な写真が撮れたのだ。
せっかくだから、なにかしら気の利いたコメントと共に投稿したい。
だが、少し考えて、コメントではなく事実だけを添える事にした。
僕はこの風景に「朝と夜が交わる幻想感」を覚えた。
だが、それをワザワザ言葉で説明する必要はない。
そんな事をしなくても、この写真には全ての情報が過不足なく詰まっている。
予想外の展開
僕は正直、写真にはそれほどの興味は無かった。
だから、写真に明るい方が「彩度」とか「明度」とか「ぼかし」とか「レンズ」とかの話をしていても「よくわからん世界だな…」としか思っていなかった。
だが、上に貼り付けた写真を撮った結果、途端に写真に興味が湧いてきた。
もしかすると写真は「研ぎ澄まされた文章」と同じような機能を持つ表現なのかもしれない。
そう思って、もう一枚、写真を撮ってみた。
…?
なにか違う…。
僕が感じた「夜が終わる間際の美しさ」がまるで表現されていない…。
この風景、僕の目にはもっと周りの建物が黒く映っていたし、陽の光もこんなに力強くはなかった。
この写真の明るさでは「夜の終わり」というよりも「朝の始まり」が伝わってしまうのではないか…?
どうやら僕は「文章のクオリティを上げる方法」について考えていた結果、何故か「写真の面白さ」に気付いてしまったようだ。
人生、何がどう転ぶか、本当に全く分からないな。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
表現って奥深いですね。