この日、1933年、1月26日は旧正月元日。
山頭火さんは、庵で過ごしています。
わが庵は雪のあしあとひとすぢ
日記にはこうあります。
『雪だ、このあたりには珍しい雪だ、冷えることもずゐぶん冷える、なにもかも凍っている。まづ雪見で一杯ということだろう、誰か雪見酒を持ってこないかな』
日記を読むと、この日の山頭火さん、テンション上がってます。
雪のせいだけでは無いようですが、日記全体の雰囲気がちょっと上機嫌です。
私も、雪があまり降らない地方に住んでいるのですが、雪が降ると、確かに、ちょっとテンション上がります。
わかります。
今日、これを書いている時点で、第35回『今日の山頭火さん』掲載予定の、26日あたり、大寒波の予報です。
平地でも、雪が降るぐらいの大寒波だそうです。
私も雪見酒の用意を始めたほうがいいですかね。
足跡を残す、という慣用句があります。
物事を成し遂げて、成果を後世に残すといった意味ですね。
山頭火さんは、俳人ですから、もちろん、自分の俳句を残そうと、創作を続けていたはずです。
自分の足跡を残したかったはずです。
残ってます、山頭火さん。
90年たった今でも、山頭火さんの残した、一筋の足跡が気になる人間がいます。
90年後の同じ1月26日に、雪が降ったら、雪見酒をしようとしている、おじさんが、ここにいます。
足跡を残す人というのは、歩きにくい道を厭わないんですね、きっと。
足がめり込む、ぐずぐずの道を、厭わないんです。
だからこそ、残るわけです。
私はといえば、スキップできるぐらいの、楽な道を、ここまで来たような気がします。
多分、舗装路です。
そりゃ、何にも残ってないはずです。
足跡の残るような、足下の悪い、道無き道を、一歩一歩進まないかぎり、何も残りませんね。
一歩一歩です。
まず、スキップを止めろ、と。
雪、降り積もりそうですか、そうですか。
すべての足跡が、静かに、埋もれていきますね。
それでも出発しますか、そうですか。